しみづ農園の歴史
昭和初期より、刻々と業態をかえつつ歩んできた「しみづ農園」。造園施工会社なのに、なぜ「農園」なのか。簡単に触れてみたいと思います。
時代はさかのぼって大正時代。のちに株式会社しみづ農園の初代社長になる清水半平は、一族とともに台湾開拓民として入植。 大正2年(1913年)、台湾花蓮県吉野にて、合資会社しみづ農園を創立しました。このときは農産種苗、観葉植物の栽培をなりわいとしていました。
昭和の時代になり、やがて敗戦。すべてを捨てて日本へ帰国。故郷の群馬にもどりました。
昭和21年2月、群馬県高崎市連雀町にて再開業。写真は、昭和22年撮影。現在はヤマハ高崎中央センターがある場所です。
昭和28年~38年までは、そこからすぐ近所の現在では北越銀行がある場所で営業、その後、高崎市倉賀野町に移転します。 昭和36年2月、株式会社しみづ農園に改組。昭和40年代後半から、造園工事を主に行うようになり、昭和53年7月、群馬県高崎市柴崎町(現在地)に本社を移転。
平成バブルの時代、企業CIの流行の時期に、組織名称の変更を検討したこともありましたが、 長年お客様に愛されてきた名前への愛着と今の時代だからこそ、この名前を捨てずにいることを選択し、現在に至っています。




